か ん こ れ (艦艇コレクション7)

第二次世界大戦中、「轟沈型」とあだ名された船がありました。

え?相手を次々と轟沈させた活躍船だから轟沈型??

・・・答えは本文中に・・・

海上輸送は大量輸送が可能で、かつその輸送コストが他のものと比較し圧倒的に低く、経済活動および軍事活動においては、海上輸送手段の確保は非常に重要なであり、長距離輸送においては現代でも輸送手段の主力です。

特に戦時においては、船腹(船の積載量のこと)の所要量が平時と比較し増大し、また、敵国の通商破壊活動等により船舶が撃沈され船舶の絶対数が減少するため、船腹を増大させる必要があり、短期間で建造できる船が必要となりました。

量産性を向上すると共に資材節約を優先し、工程や構造、艤装等が大幅に簡素化されたため、耐久性、航海速力、信頼性を「ある程度」犠牲にするものでした。

そんな中産まれたのが、「第1次戦時標準船」

しかし彼女たちは簡略化の度合いが小さく、「戦後も使用することを前提」にしていたため、建造期間が長く生産性は劣る物でした。

(例:1万トン級タンカー建造期間)

戦前:

1936年 音羽山丸 10ヶ月29日 

第一次戦時標準船: 

あまつ丸 7ヶ月5日

みりい丸 5ヶ月4日

1941年から建造が開始され、185隻が建造され、戦後まで生き抜いた娘は11隻。

そして・・・戦局が逼迫し、日本は制海権、制空権を失う中、第一次戦時標準船では増大する船舶被害に造船が追いつかなくなり、さらなる建造期間の短縮および資材の節約を目的として第2次戦時標準船が産まれました。

二重底の廃止⇒二重底があろうがなかろうが、すぐに沈むのなら、廃止してしまおう。

隔壁の廃止⇒防水隔壁があろうがなかろうが、すぐに沈むのなら、廃止してしまおう。

検査は最低限。

故障しやすい低出力の機関で、カタログ上でも7から8ノット程度、粗悪部品や粗悪燃料のせいで、それ以下の低速しかでないため、潮流の早いところでは流され座礁沈没する船、ボイラーが爆発し、沈没する船、船底を軽くこすっただけで沈没する船・・・

「簡単に轟沈」する。

だから「轟沈型」

そもそも船の耐用年数が、

すぐに撃沈されるだろうという想定から

「機関1年・船体3年」

そんな設計・・・。

まともに動く方が奇跡なので、新規に船を引き渡された船員が、自らドックに整備を依頼するレベル。

ただし、製造できる期間は1万トン級タンカーの瑞雲丸が3ヶ月。大型貨物船の中では、55日で完成する物も現れました。

日本は第二次世界大戦中、1340隻、338万トンの船舶を建造しました。うち、轟沈型は819隻 184万トン。

これらの第2次戦時標準船は終戦時に残存していた船舶のおよそ4分の3を占めましたが、あまりの粗製ぶりにGHQが「使用禁止」を出す始末。

ここにある数字があります。

船員:6割が戦没

軍人:2割弱が戦没

軍人は戦没すれば恩給がでます。しかし船員にはありません。

現在でも一番「戦争」というものを嫌っているのは、おそらく一般市民では無く、このような船に乗せられ、大きな被害をだした「船舶会社」です。

おまけ。

あまりの粗製ぶりにGHQが「使用禁止」した第二次戦時標準船。

戦後、エンジンを交換し、二重底を張り直し、機器や装備品を新設し・・・「機関1年・船体3年」と言われた中

永仁丸が解体されたのは、私が生まれた後の1976年。

30年以上も使われた娘もちゃんといたんです。

こんな暗いはなしはこれくらいにして・・・次は・・・戦前に生まれたタンカーのお話でも。